危惧されていたウクライナ侵攻が始まった。
このニュースを見ると、薄くではあるが確実に私の心は鉋のようなもので削れていく。
薄く反対側が透けるほどではあるがそれは確実に。
テレビを見てもネットを見ても流れてくるニュース
私はこの事をSNSで発信していない。
それは無関心なのだろうか。
今回の侵攻にもちろん反対だし、この先の未来を考えれば無関心でいられるはずはない。
どう考えても対岸の火事ではないのだ。
だからニュースを見るし情報を漁る。
それでもこの事をSNSでは発信していない。
これ以上、心が疲弊するのは嫌なのだ。
それは「逃げ」なのかもしれない。
それでも向き合っている。
涙だって出る。
これから悲しい映像だって流れるだろう。
決して、それらをSNSで発信している人を非難しているのではない。
SNSは発信したいことを発信出来る場所であることは理解している。
SNSで得られる心の平穏に助けられている一人として、決して他人の発信は否定しない。
blogだってそうだ。
こうして自分の事だけを書いている。
これは自分の中だけの話なのだ。
そうした中、流れてくるウマ娘の情報
それは意図しているのかしていないのか。
私はウマ娘をやっていないけれども、変わらない呟き、そういう呟きに助かっている。
ゆっくりではあるけど、心は薄くなっている。
こうして気持ちを吐露できる場所に感謝している。
そして心を補強出来る人に感謝している。
平和を心から願えば願うほどに。