からあげ

ほらそのあのなんていうか

そろそろ止めにしませんか

1989年にとり・みき先生が書いていました。

「多くの人がこの事件に関心を持ち、なおかつ口をそろえて彼との差別化をはかろうとするのは、」

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ここで書いているとおりだし、ずっと変わっていない。
毎回、同じような報道を見るとそう思います。


みんな安心したいのです。


人を殺したか、殺していないのか。
そこが絶対的な違いでしかないはずなのに、差異を探しています。
今回にあっては、殺された側の異常性を探しています。

それも結局は自分の中の共通部分を正当化したいだけでしょう。

ただ、こう書いている私も差異を探しています。
多分、本能的で防衛的な何かなんでしょう。
あなたも犯人と同じです。
そう言われたら、やっぱり差異を挙げて反論してしまいます。


違うのではなく、私も同じ過ちを犯す可能性がある。
そう気付くことで、そうしないためのセーフティを作っています。
美味しいものを食べたい。
綺麗な景色が見たい。
それは小さなものかもしれないけど、そこを積み上げてセーフティを作っています。

私は殺したくもなければ殺されたくもありません。
差異を見つけて安心しているのは、何の対策でもないのです。
そろそろ差異を見つけてそれを異常性として安心するのは止めにしましょう。

30年以上前に書かれたエッセイを改めて思います。


最後に引用させてもらった
とり・みき先生のしりとり物語
面白いのでぜひ読んでみてください。
とり・みきの大雑貨事典もおすすめです。

もちろん漫画も大好きです。
遠くへいきたい
は一読してもらいたい作品です。